【フェルマーの最終定理】 証明した人 アンドリュー・ワイルズの人生 わかりやすく解説
数学最難問の一つであるフェルマーの最終定理をわかりやすくご紹介します。
フェルマーの最終定理の誕生
この問題(予想)は17世紀、フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーが、彼の愛読書である算術(ディオファントス著)の余白に書き込んだメモがきっかけでした。
フェルマーの最終定理は彼のメモから始まったのです。
さらに、このメモにはこう書かれていました。
私はこの定理について真に驚くべき証明を発見したが、
ここに記すには余白が狭すぎる
このことから、 フェルマーはこの定理の証明方法を発見していたようですね。
このことが事実であるかは定かではありませんが、多くの人は真実ではないと考えているようです。しかし、フェルマーさんのことですからもしかしたら本当に「驚くべき証明」を発見していたのかもしれません。
そう考えると夢がありますね。
フェルマーは非常にいじわるで茶目っ気がある人でした。
職業は裁判官でしたが、数学者よりも優れていたと考えられます。彼はよく閃いた数学の問題を友人に送りつけては「キミに解ける?解けないでしょ?」と言っていたそうです。
彼のノートの隅っこにはいろいろな定理や証明が書かれていて、48の書込みのうち47の命題は後世の数学者達によって証明や否定の証明が与えられましたが、一つだけは長年にわたって解かれずにいました。
2番目に書かれていたメモでしが、これこそがフェルマーの最終定理でした。
原文 | 日本語訳 |
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Cubum autem in duos cubos, aut quadratoquadratum in duos quadratoquadratos, et generaliter nullam in infinitum ultra quadratum potestatem in duas eiusdem nominis fas est dividere: cuius rei demonstrationem mirabilem sane detexi. Hanc marginis exiguitas non caperet.[6] | 立方数を2つの立方数の和に分けることはできない。4乗数を2つの4乗数の和に分けることはできない。一般に、冪(べき)が2より大きいとき、その冪乗数を2つの冪乗数の和に分けることはできない。この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。 |
定理の内容
問題自体は中学生でも理解することが可能ですよね。
どれほど凄い問題なのか
何年間証明されていなかったと思いますか?
なんと360年間誰一人として証明することができなかったのです。オイラーやガウスなど時代を代表する数学者たちもこの定理を解き明かそうとしましたが、敗れ去りました。
問題自体は容易に理解することができるのにも関わらず、誰一人として証明することが不可能だったのです。
そのためこの定理は数学界最大の難問の一つとも言えます。
この問題はあのミレニアム懸賞問題レベルだと考えられます。
ミレニアム懸賞問題についてはこちら
こちらは7つある問題の中で1つしか証明されていません!
さらに賞金約1億円がもらえます。
証明した人ってどんな人か知りたくないですか?
フェルマーの最終定理を証明した人物
フェルマーの最終定理を証明したのはイギリスの数学者アンドリュー・ワイルズでした。正確には世界中の数学者たちの協力が証明を作り上げました。
証明方法
方法は楕円曲線に関するモジュラリティ定理の特殊な場合の数学的証明で、リベットの定理と組み合わせることでフェルマーの最終定理の証明を与えるそうです。
理解不能ですね。
彼は1953年3月11日にイギリスで生まれました。
10歳の時、算数が大好きだったワイルズは、図書館で人生をかけてまで解きたい問題に出会いました。その問題こそが「フェルマーの最終定理」です。
ワイルズは、「この問題は自分が解かなければならない」と決意しました。
その後ワイルズはケンブリッジ大学に進学し、数学に明け暮れる日々を過ごしていました。しかし、この定理に挑むことを周囲の人々は反対していたのです。
そのため、ワイルズは「楕円曲線」という分野の研究に挑み、成果を出します。
そして、プリンストン大学の教授に就任し穏やかな日々を過ごしていました。
しかし、皮肉なことにこの楕円曲線の研究が再びワイルズの「フェルマーの最終定理」に対する情熱に火をつけるのでした。
彼の心に火をつけたのは、日本人が発表した谷山志村予想です。
谷山志村予想は「すべての楕円曲線はモジュラーである」という数学の予想であり、この予想を見てワイルズは、ヒントを得るのです。
そして彼は自分が取り組んでいた研究から身を引き、フェルマーの最終定理に関する証明に取り組むことを妻以外の誰にも話さず、7年間ひたすらこの定理に臨みました。
7年間、世間との関わりを絶っていたため、研究者の間では「彼は死んだのではないか」という噂までもが流れるくらいでした。
そして、1993年。ケンブリッジ大学ニュートン研究所にて、まったく関係のない内容で、ワイルズは講演を設けました。講演の内容は「楕円曲線とガロア表現」
ワイルズはフェルマーの最終定理に関する発表を隠していたのです。発表が進むにつれて、ある噂が駆け巡ります。
ワイルズはフェルマーの最終定理を解いたのでは!?
3日間の講演の最終日、彼はついにフェルマーの最終定理を証明しました。
彼はついに証明を完成させたのです!
それも関係のない講演で。7年間も世間との関わりを絶ち、一人でこの定理に挑んでいたのはとても驚きですよね。一つのことを熱心に集中して完成させるのは天才数学者の不思議な共通点とも言えます。
記事を読んでいただきありがとうございます。
フェルマーの最終定理は人生をかけて証明するほどの難問のようですね。この問題を解く鍵を作ったのが日本の方なのは驚きですね。世界中の数学者が長い時間をかけ、協力することでやっと証明することができたのはとてもすごいことだと思います。
ミレニアム懸賞問題の一つ「ポアンカレ予想」を証明したペレルマンはこれまでにない天才でしたが、賞金の一億円を受け取りませんでした。数学だけが本当に好きなんだなぁと思ってしまいます。
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