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相対性理論の歴史

相対性理論を提唱したのは古典物理学最後の大物とも言われるアルベルト・アインシュタインです。

相対性理論の内容はこちら

 

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アインシュタインが活躍した1900年前後をご紹介していきます。

 

1879年ドイツの自由主義的なユダヤ人家庭に長男として生まれました。5歳の時には父親からもらった方位磁針をきっかけとして自然界の法則に対した興味を持ち、10歳になる頃には数学に興味を持って幾何学微積分などを独学で習得しています。

 

16歳になったアインシュタインはスイスの名門大学であるチューリッヒ連邦工科大学を受験し不合格となりましたが総合成績が規定に満たなかったものの、数学と物理では最高ランクの点数をとっていたため1年間別の学校で点数が足りていない分の授業を受けることを条件として翌年の入学資格を手に入れます。

 

それ以前に通っていた全寮制の学校は規則が厳しくアインシュタインには馴染めなかったのですが、大学入学前に通ったこの学校は自由度が高めであり翌年行われた中等教育修了試験に無事合格しました。

 

そしてこの学校ではもう1つアインシュタイン大きな機転をもたらす出来事がありました。

それは昼寝中に自分が光となって別の光を追いかける夢を見たということでした。

 

この夢をヒントとしてアインシュタインは10年後の1905年に特殊相対性理論を発表、そして1916年に一般相対性理論を発表し、古典論とされる量子力学以前の物理学における最後の大物と言われる相対性理論の完成に至るのです。

 

 

相対性理論というのは光の速さは不変であるという原理と、それに対して物理法則が決まるという理論です。

この光の速さは不変というのは静止している物体にも運動している物体にも、その位置や速さにもかかわらず、全ての物体に対して変わらない絶対的なものだという意味を持ちます。

 

そしてその光速に対して物理法則が相対的に決定されるためこの理論は相対性理論と名付けられているのです。

 

 

これによって相対性理論が確立する前は一律に流れるものだと考えられていた時間やなんらかの状態を変化させたり形状自体を破壊するような力を加えなければ不変であると思われていた大きさなどいくつも物理的な概念が物体が運動すること、つまりその位置が動くことで変化することが明かされました。

現在では相対性理論は物理学の常識であり量子力学も含めた物理学研究の基礎となっています。

 

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しかし、アインシュタインユダヤ人かつ平和主義者であることからこの科学的な発見は政治の渦へと巻き込まれていくのです。

 

 

 

相対性理論の発見は物理学界だけでなくその他の自然科学分野や一般社会でも大きな話題となりました。

 

実際にそれまでの理論だけでは説明できない物理現象の一貫した原理による説明は待ち望まれたものだったのです。しかし相対性理論の考え方が、一般市民の感覚ではなかなか納得できないものであるのも事実でした。

 

アインシュタインユダヤ人であったことや、基本的には戦争に反対する立場だったという背景から第一次世界大戦に敗北したドイツで反相対性理論キャンペーンが行われたり、物理学者の間でも反ユダヤ主義の立場に立つ人は相対性理論に関する業績をアインシュタインのものと認めずにその業績を既になくなっている他の物理学者のものだと主張したりアインシュタインユダヤ的と批判・攻撃するなどして、その結果アインシュタイン相対性理論によるノーベル物理学賞の受賞を妨害されてしまいました。

 

 

1921年に彼に授与されたノーベル物理学賞光電効果という光の性質についての発見に対するもので結局アインシュタインはその生涯で相対性理論でのノーベル賞を受賞することはなかったのです。

 

 

しかし、反相対性理論キャンペーンの方もナチス・ドイツと共に勢力を増したものの結局は第二次世界大戦での敗北と政権崩壊によって共倒れのような形でそのまま力を失い忘れ去られてたのでした。

 

 

政治的・差別的な運動によって攻撃を受けつつも物理学界では相対性理論の立証が進められつつありました。その最も有力な方法として考えられたのは1916年発表の一般相対性理論で予言された中の光が重力に影響を受けて曲がるという当時はまだ観測されていない現象を発見することでした。ですが、アインシュタインはその翌年である1917年に自宅療養が必要なほどの肝臓の病気にかかってしまいました。

 

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アメリカやイギリスの物理学者たちが天体観測を行って星の重力によって光の軌道が変わる様子を発見しようと試み、その観測自体ではなかなか成功しなかったものの敵国であったドイツで発見された相対性理論が、アメリカやイギリスで英語に翻訳されて紹介され、理論の立証に向けてさらに大規模な観測が計画されました。

 

 

1921年からアメリカやイギリス、フランスや日本を歴訪し、さらに1923年にはノーベル賞受賞後の講演を行うためスウェーデンエルサレムやスペインの後に訪れています。

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さらに1932年にアメリカ訪問のためドイツを出発した彼はそのままアメリカに移住して国籍も取得しています。さらに1935年にはプリンストン高等学術研究所の教授として量子力学相対性理論の研究を進めていき、現在でも研究途上である量子力学相対性理論の間の矛盾についての研究を他の物理学者との連名で発表しています。

 

 

 記事を読んでいただきありがとうございました。

相対性理論には差別や反相対性理論キャンペーンが行われるなどたくさんの障害がありましたよね。このような人々がいなくなることを望みます。相対性理論について興味を持っていただけたら嬉しいです。

冒頭でもご紹介しましたが、相対性理論を説明している記事ではこちらの方がわかりやすいのでぜひ見てください。

 

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