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人類の進化・オリエントと地中海世界 古代ローマ 世界史

 

 

人類の進化

人類の大まかな進化の段階は、猿人原人旧人・新人が考えられている。

 

 

猿人:今から約700万年前、アフリカで直立二足歩行を特徴とする人類が誕生した。最初に出現した人類を猿人といい、アウストラロピテクスなどがこれに属する。その中には簡単な打製石器を用いるものもいた。

 

原人:約240万年前、アフリカに原人が登場した。ホモ=ハビリスホモ=エレクトゥス(ジャワ原人北京原人など)がそれに属し、中でもホモ=エレクトゥスはハンドアックスなどの改良された打製石器を使用して狩猟・採取生活を営んだ。

 

旧人:約60万年前、より進化した旧人が出現した。ヨーロッパに分布したネアンデルタール人がその代表である。

 

新人:約20万年前、アフリカに現れた人類を新人という。ヨーロッパのクロマニョン人や中国の周口店上洞人などがこれにあたる。新人は剥片石器を作る技術をさらに進歩させ、また骨や角で作った骨角器を用いて生活をより豊かにするとともに、すぐれた洞穴絵画を残した。

 

人類がこのように打製石器を用いて生活していた時代を旧石器時代と呼ぶ。

 

農耕・牧畜の開始と国家の誕生

約1万年前に氷河期が終わり、環境が大きく変化した。それに対応する中でもっとも重要だったことは約9000年前の西アジアの栽培とヤギ・羊・牛などの飼育が始まったことである。

これにより人類は、食料を生産する生活を営み始めた。つまり、狩猟・採取を中心とした獲得経済から、農耕・牧畜による生産経済に移るという重大な変革をとげたのである。

 

農耕・牧畜が始まると人類は集落に住み、織物や土器を作り、また石小野・石臼などの磨製石器がもちいられた。新石器時代の始まりである。

 

最初は雨水だけや、肥料を用いない方法によっていたため、収穫も少なく、耕地も移動していた。しかし、メソポタミアティグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域)灌漑農業が始まると、食糧生産が発達し、さらに多くの人口を養うことが可能となり、多数の人間を統一的に支配する国家という仕組みが生まれた。

こうして『ナイル川』『ティグリス川とユーフラテス』『インダス川』『黄河・長江』の各流域に文明が誕生した。

そこには宗教と交易の中心である都市が生まれ、支配するものとされるものとの間に階級差が生じた。武器や工具などの金属器が作られ、また政治や商業の記録を残すための文字が開発された。ここから人類史は歴史時代に入っていった。

 

 

人類と言語の文化

世界各地に拡散した人類がそれぞれの環境に適応していく中で、言語や習慣は多様になった。そこで人類を人種や民族などの集団に分ける考え方が生まれた。

人種による分類:身長・頭の形・皮膚の色・毛髪といった身体の特徴によって人類をおおむね白色人種・黄色人種・黒色人種に分けようとする考え方である。

民族による分類:言語・宗教・習慣などの文化的特徴によって人類を民族という集団に分ける考え方もある。また、世界共通の言語から派生した同系統の言語グループを語族という。

 

 

オリエントと地中海世界

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ティグリス川・ユーフラテス川とナイル川の流域に生まれたオリエント文明では、大河の治水・灌漑農業を指導するため、宗教の権威による神権政治がはやくから発達した。エジプトの太陽暦メソポタミア六十進法などは周辺地域に大きな影響を及ぼした。

また、オリエント文明の影響を受けて東地中海岸に誕生したエーゲ文明ではいくつかの王権が小王国を支配していた。

 

エーゲ文明崩壊後に出現したギリシア文明は、ポリスという独特の社会の仕組みから生まれた。ポリス社会は奴隷制がその経済的基盤ではあったが、強大な王権のない、独立した自由な市民たちの共同体であった。市民の自治に根差したポリス社会は、人間中心的で合理主義的な精神文化をうみだした。

 

イタリアに誕生した都市国家の一つであるローマは、強大な軍事力を背景に地中周辺全域を統一した。ローマ帝国は以前からあった様々な文化・文明・民族を地中海世界という一つのまとまりの中に結合・吸収し、都市を中心にギリシア文明を継承・発展させた。

ローマの平和」のもとで繁栄したローマ文明はその後のヨーロッパ文明の直接の母体であり、ローマ帝国に急速に広がったキリスト教ギリシア文化とともにヨーロッパ思想の重要な源流となった。

 

古代オリエント世界

オリエント世界の風土と人々

オリエントとはヨーロッパからみた「日ののぼるところ,東方」を意味する。

ティグリス川・ユーフラテス川流域のメソポタミアでは、前3000年ごろから都市文明が栄えた。ナイル川のめぐみを受けるエジプトメソポタミアとは異なり、砂漠と海に囲まれているため、エジプト語系の人々が長期にわたって高度な文明を営んだ。また、両地方を結ぶ交通路にあたっていたシリア・パレスチナ地方は、メソポタミアにかけて「肥沃な三日月地帯」を形成し、セム語系の人々が地中海の交易に活躍した。

 

オリエント社会では大河を利用した治水・灌漑をおこなうために、はやくから宗教の権威によって統治する強力な神権政治が出現した。

 

シュメール人都市国家

灌漑農業の発達したメソポタミア南部では、前3500年頃から人口が急激に増え、神殿を中心に数多くの大村落が成立した。やがて文字が開発され、銅器・青銅器などの金属器が普及し始めた。

前2700年頃までにウル・ウルクなどシュメール人(民族系統不明)都市国家が数多く形成された。これらの都市国家では政治や経済・軍事の実験を握って人々を支配する階級社会が成立した。