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野口英世の人生 医学界での功績

 

2004年からの千円札のデザインは野口英世になりました。

お札の人物に選ばれるほどの人物ですが、

どのような人生を送ったのかを知っている方は少ないと思います。

 

今回は野口英世の人生についてご紹介します。

 

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野口英世は1876年に野口家の長男として福島県貧しい農家に生まれました

 

生まれたときの名前は清作でした。

1歳の時、囲炉裏に落ち大火傷をおう大事件が起きます。このことで彼の左手が全部くっついてしまいます。

 

6歳になると小学校に通い始めます。

当時の小学校は、お金に余裕がある子供が通えるところでした。彼は貧しい農家生まれでしたが、彼のお母さんのシカさんが一生懸命働いて学校に通わせてくれました

 

お母さんは

「清作(野口英世)は左手の火傷で農家を継ぐことができないから、学問を身につけされなければいけない」

と決意したそうです。

当時の農家では珍しく家事の手伝いもさせず勉強に集中させました。

 

シカ(野口英世の母)さんは昼は畑仕事をし、早朝に川で採れたエビを片道30キロの町まで売りに行った懸命に働いたそうです。

 

ですが、農家の子供だということ、左手が不自由なことで清作はいじめられて登校拒否になってしまいます。

 

学校にいかずフラフラしている清作をシカさんが見つけました。

 

自分の不注意で火傷をさせてしまったことで辛い思いをさせてしまっているという思いからシカさんは怒りもせず、涙を流して詫びたそうです。

 

そしてシカさんは清作に

「辛いだろうが、勉強をやめてしまったら何にもならないから我慢してくれ」

と言ったそうです。

 

この出来事から清作は学校に通い猛勉強をしました。

清作は幼少の頃から頭がよく、小学校でもトップクラスの成績をおさめます。清作の才能に気づいた小林先生の援助もあり、高等小学校に入学しました。

 

当時は小学校での4年間が一般的に受ける教育で、高等小学校は裕福な子どもしか進学できなかったのです。

 

15歳のとき、左手の障害について作文を書きます。

 

その作文は小林先生だけでなく、クラスメイトたちも涙を流すほど感動させるものでした。このことでクラスメイトからの募金が集まり、米国帰りの医師の手術を受け左手が少しだけ動くようになったのです。

 

この手術の成功に感動した清作は医師を目指すようになります

 

高等小学校を卒業したあと手術を受けた病院に入門しました。医学以外にも英語、ドイツ語、フランス語を勉強します。

 

1つの言語の原書をたった3ヶ月で読めるようになった

という逸話もあります。

 

 

ここで彼は生涯の恩人である「地脇守之助」と出会うのです。

地脇守之助は戦後、東京歯科大学を設立し、歯学界に大きな功績を残す人物です。

 

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1896年、彼が20歳の頃に医師免許を取得するために上京します。

 

しかし、彼は都会の色に染まってしまいます…

恩師である小林先生から餞別としてもらった40円(当時の小学校の初任給は8円くらい)を酒や遊郭で使い込んでしまい、たったの2ヶ月で下宿を追い出されてしまうのです。

 

その後、地脇守之助を頼り、援助をもらいます。

彼はお金をすぐに使い込んでしまうので、5円を3回に分けてもらったそうです。

 

そんな清作でしたが、東京で通常数年かかるところをたった1年で合格し、医師免許を取得しました。

 

試験には打診(指や器具で体を叩き診察をすること)があり、当時の手ではできませんでしたが、地脇守之助の援助で左手を再手術して打診が可能になりました。

 

 

医師免許は取得しましたが、開業資金がなく左手のコンプレックスもあり、開業医を断念します。そのかわり、学者になることを決意しました。

 

21歳で北里柴三郎が所長を務める伝染病研究所に入り、研究の仕事ではなく、語学の能力により通訳や翻訳の仕事をします

 

ここでのちによらいする糸口となったサイモン・フレクスナー博士と知り合います。この時に「英世」という名前に改名します。

改名した理由は、当時人気の小説の主人公の名前と自身の名前がそっくりだったからです。

 

その小説の主人公は借金をしていて周りを騙し、自堕落な生活を送っていました。彼も借金をして飲み歩きや、遊郭通いをしていたので、主人公のモデルだと思われないか心配したそうです。

 

 

22歳のとき横浜港検疫所検疫官補となります。

そこでの仕事ぶりが認められ、清国(中国)へ国際防疫班に選ばれ渡航します。

 

8日間の船内で、中国人の船員と手真似を交えて話しているうちに、中国語の日常会話をマスターした

という逸話があります。

 

 

1900年、彼が23歳の時に学者として名を上げるためには海外に行くしかないと決意し、渡来を目指します。

 

 

彼は知人から200円(60万円)の援助を受けます。さらに女学生婚約をし、結納金300円(90万円)を手に入れます。

 

この500円を渡米の資金にするのではなく前回と同じくほとんど使い込んでしまいます。さすがの地脇守之助の呆れ果ててしまいました

ですが、彼の才能を信じて300円の借金をして彼に与えました。さらに婚約をした女学生とは結婚をしませんでした。そして、結納金も返さず渡米しました。

 

ちなみに1905年に地脇守之助が婚約時参金を代わりに返済しました。清作は北柴三郎の招待状を持ってサイモン・フレクスナー博士に飛び込みで頼り、ペンシルベニア大学医学部に入ります。

 

その後蛇毒を研究し、この研究によってアメリカの医学会に名を知られることになったのです。

 

1904年、ロックフェラー医学研究所に移籍します。

 

彼は

「ナポレオンは1日3時間しか眠らなかった」

「ナポレオンにできるなら私でも出来る」

と言って1日3時間しか眠らず、研究に明け暮れたそうです。

 

そのため、「日本人は2日に1度しか眠らなくても済む

と噂されたとか。

 

 

そして1911年34歳の時、米国人女性と結婚します。

 

その後、

「病原性梅毒スピロヘータの純粋培養に成功」

と発表し、世界の医学界の有名人になります。

しかし、現代では純粋培養の成功はほぼ否定されています。

 

 

1914年37歳のときに東京大学より理化学博士の学位を授与され、ロックフェラー医学研究所正員に昇進しました。

彼はこの年のノーベル医学賞候補になります。

 

彼は本当は海外で仕事に没頭したかったのですが、母親からの手紙に心が動かされたそうです。

 

貧しい農家の方だったので、シカさんは小学校に通っておらず、殆ど字が書けなかったそうです。

息子に会いたい一心で勉強してほぼ平仮名で手紙を書いて送ったらしいです。このとき母が字をかけるとは思っていなかったそうで、自筆の手紙を見たとき、号泣したそうです。

 

この他にもシカさんは農作業の傍ら必死で勉強し、産婆の資格を得たそうです。母親も勤勉だったようですね。

 

 

1918年、42歳の頃要請により南米エクアドルに行くことになりました

 

当時猛威をふるっていた黄熱病の調査のためです。

そして、野口ワクチンによって南米での黄熱尿が収束したと言われましたが、それは勘違いで、実際の功績は「南米でのワイル病の収束」となっています。

黄熱病は誤りで、ワイル病であったと言われているのです。

 

1927年、野口ワクチンでは黄熱病が治らないという連絡を受け、アフリカのアラクへ出張します。

 

当時から黄熱病はウィルスが原因だという学説がありましたが、そのウィルスも電子顕微鏡でなければ見えません。

 

彼は細菌起因説を信じて、光学顕微鏡で観察を続けました。

 

しかし、研究結果が出ないまま彼も黄熱病になってしまいます

 

 

1928年アフリカで51歳の生涯を閉じるのです。

 

彼は多くの発見をし、当時の医学界の世界的権威でした。

しかし、彼が発表した研究で現在評価されているのは

「蛇毒血清の基礎研究」

「神経梅毒のスピロヘータ発見」

の2つです。

 

その他は間違いであったと証明されています。

しかしながら医学の発見とは先行研究を否定する過程です。彼の研究が無駄だったとは言えないのです。

 

女好きで金銭感覚が狂っているけど天才、失敗や間違いも多いけど超努力家で野心家、医学に関する情熱は凄まじい方でしたね。

 

野口英夫がお札に選ばれた理由は

  • 教科書に登場するほど知名度がある文化人だから
  • ヒゲなどデザインとして偽造されずらいルックスだったから

だそうです。

 

 

名言

 

私はこの世界に、

 何事かをなさんがために生まれてきた。

 

過去を変えることはできないし、

 変えようとも思わない。

 なぜなら人生で変えることができるのは

 自分と未来だけだからだ。

 

 

忍耐は苦い。しかし、その身は甘い

 

努力だ、勉強だ、それが天才だ。

 誰よりも、3倍、4倍、5倍勉強する者、

 それが天才だ

 

 

 

 

記事を読んでいただきありがとうございます。

野口英夫は超努力家でしたね。人からのお金を遊びに使ってしまったりはしていますが、医学界に大きな影響を与えたのは間違いありません。お札のデザインは変わってしまいますが、野口英夫さんのことを思い出して努力しましょう。

 

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